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まず行うべきは国民と言葉を以って対峙することだ。 ニュース記事に関連したブログ

2012/05/08 18:32

 

政治不信、政治に対する信頼の失墜、政治腐敗などなどここ最近の政治にまつわる言葉にはネガティブなイメージが非常に多い。

長きに渡った自民党政治を刷新することを期待された民主党政権は文字通り泡沫のように漂流し、そしてわが国をなんと思ってのことなのか、国家としての安定を失わせるような首相、大臣としての迷走、迷言の数々。

党としても消えいくしか道は残されていない。

言葉の力を見縊った政治屋の集まりのなれの果てである。

 

どんなに存在感のない政治家でも、国家観の無い政治屋でも、国民の意志を紡いだ結果として議会に立っているのである。

その政治家が議員となった途端、言葉をないがしろにし、国民に説明することも対話もなく、理解もさせることが出来ないようなスタンスでいる現在の大半の政治屋達は国民に対する最も重大な背信行為を行っているのである。

 

言葉はあるときは人を傷つけ、その傷が当人にも帰ってくる場合もある。

しかし、その傷を癒すことが出来るのも言葉である。

言葉によってお互いの理解が生まれ、その理解が信用を生み、その信用の最たるものが国と国民との結びつきであるべきなのだ。

しかしながら現状はどうだろうか。

翻ってわが国を見たときに、その言葉によって自らの首を絞めている政治屋の多いこと。

そしてそのような人間達によってわが国は多くの国益を損じているのである。

 

思慮の浅い言葉を発する政権担当者のその自覚の無さは目を覆いたくなるばかりである。

結局場当たり的なことに終始し、現在の政権運営を見てもそうだが、内ゲバ、反目の嵐。

党内の安っぽい権力闘争が何を以って国民に受け入れられるというのか。

その抗争の中で語られるほどの多くの言葉は国民に向けられたことはあったのだろうか。

多種多様な理念、思想の集合体でもある政党は個々のもちろん議論を以って様々に政策として決定していく。

その根本にいるはずであるのは、わが国国民である。

それをもう一度見直していただきたい。

そして、真正面から国民と対峙し、わが国の進むべき道を全力で模索していただきたい。

 

多くの問題が山積している現状を看過出来ない、そのような人々は必ず声をあげ、そして、その声は渦をつくり、わが国を再び高みに押し上げる原動力になるはずである。

諦めだけではない、前向きな声をあげるてみることも時には必要ではないだろうか。

 

小生はこれからもわが心に響く声の主を探し続けるつもりである。


 

 

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原発問題を盾に言い放しを続ける人間の無責任 ニュース記事に関連したブログ

2012/04/18 16:00

 

小生は原発において肯定派である。

 

ただし、可能な限りの国家的な努力を行うことで、段階的な発電シェアを落とすことに異存はない。幼い子供を持つ親にとっては放射能と言う言葉を聞くだけで身の毛も弥立つような思いに苛まれるということも理解はできる。

 

しかし、最近は脱原発を表明し推し進めることが何か、全ての正義を代弁しているという陶酔的感情に成り代わってしまっているのではないか。

原発のすべて悪であり、そこで働いている人間は周辺住民をだます悪魔のようである。従って、彼らがその悪魔の工場で働くことで得られる収入は取り上げてしまえばいいのだ。

もちろん福島第1原発で事故後にその使命を果たそうと働いた東電職員以下の作業員たちがスペイン王室からの賞などもらう権利などなく、その名誉も金に換えて支払いに回せとでも言いたいのであろう。

マスコミの報道の仕方も、何もしない東電、政府に代わって弱者の声を代弁するのだ、加えてここにきての値上げとはどういう料簡だとまくしたてるだけ。

そしてこの機に乗じて再興をはかろうとする中核派のような左翼団体に隙間から滑り込まれ、福島大学でも活動家達が暗躍したりと、これまた時代錯誤のイデオロギーを押し付け、煽動し始めている。

瓦礫の受け入れを反対し、自治体の首長に脅迫状まで送る輩も同様である。

 

くだらない。

 

建設的な議論も出来ず、偏った己の正と邪だけで日本の将来像をどのように受け止めていくのか。

今後の資源政策に対し本当に理解を持ったうえで発言しているのだろうか。

50基の原発を一斉に稼働を止め、その代替として火力発電所を稼働させてみると、原発1基を賄う為の費用は1日2億円。50基で100億円、年間で3兆6500億円の原料費がかかる。日本の貿易収支は資源を持たないわが国のエネルギー政策が握っているのである。

その燃料コスト面もそうだが、そこから発せられるCO2などお構いなしの発言ではないだろうか。地球温暖化も同様に危険を孕んでいるということは無視されてしまうのはいかがなものであろう。

繰り返すが、原発をなくしてもわが国の経済活動や、一般生活において支障を来さなくなるまで、再生可能エネルギー等の技術革新が進むのであれば段階的に原発依存度を減らせばいい。

しかしその道筋がまだ立たない中で、原発を、電力会社をスケープゴートとしてしか見なさないのは中世ヨーロッパの魔女狩り、左翼主義者がよく口にする総括と同じである。

 

そして小生が激しく問いたいのは、この風潮を正しいこととみなしている社会の構造自体がすでにおかしいのである。

確かに今回の事故で、失礼は分かって敢えてこの言葉を使うが、「ゴーストタウン」になっている町がある。このような町の苦しんでいる方々がいても結局はそれ以外の町の人間はつまらないテレビ番組を見て笑っているではないか。

我関せずでいながら、しかし自分が痛めつけることが出来ると思えば進んで相手を批判をし、自らの権利のみを主張する。

そのようなことが当たり前と受け入れられてしまうわが国に未来はない。

 

責任を転嫁する先を探しまわることに躍起になるのではなく、同時に発生している事象の中でどう関わることが次のステップとして、わが国国民として求められているのかを考え直すべきであると考える。

 

 

 

 

 

 

 

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朝日新聞の社説に唖然 ニュース記事に関連したブログ

2012/04/18 11:13

 

尖閣買い上げー石原発言は無責任だ

http://www.asahi.com/paper/editorial.html#Edit1

 

体調不良からブログ復帰し、その第一弾がこのような低俗な新聞紙の社説に関し意見を呈せねばいけないとはなんと情けないのだろうか。

 

朝日新聞の論調はこうだ。

 

中国様を怒らせるような軽率な発言は控えてほしい。

ましてや政治家と言っても一地方自治体の首長が国家の外交問題に口を出すなどもってのほかであり、都民の税金を使って大風呂敷を広げるなど誰が認めるだろうか。それもこれも今後の新党立ち上げのためのパフォーマンスではないのか。

 

ここまであからさまに現在のわが国を取り巻く世界の情勢を逆の目線から論じている朝日新聞社はある意味賞賛に値する。

わが国の政府に対して近隣各国からの畏敬の念はなく、またわが国国民からの信用、尊敬の念などは見る影もなく崩れ去ってしまっている。

党内の意見調整も出来ず、当初題目のように唱えた党内融和など微塵もなく、国民の顔を真摯に見つめた政治は皆無に等しい。

一方で理念のない増税論議を続け、他方で政局に持ち込むことのみに邁進する。次期選挙を意識したこれこそパフォーマンスではないのか。

 

小さい。

小さすぎる左翼主義的料簡を持った論説委員等が未だに跋扈し、時代錯誤のイデオロギーを振りかざす事でしか存在価値を証明できない。

 

近隣諸国や、世界各国においての反日感情の高まりや、左翼新聞の発言はわが国のナショナリズムを加速させる。

そのナショナリズムこそが現在わが国に必要な政治におけるスパイスたるものではないか。平和憲法に守られた安全神話を中国韓国ロシアと言った国々が、それが妄想にすぎないということを身を以ってわが国に知らせてくれているのだ。

 

であれば、我々の起こすべき行動とは何か。

わが国国土の防衛、国民の安全を維持する為にも日米安保の枠組みを元にしたわが国独自の自衛意識を世界に知らしめることが必要ではないか。

なめられたままで、受け身を通したままの政府など誰が一人前と認めてくれるのだ。

戦後65年間も半人前の国家を通してきたわが国がたとえ経済的に成長を遂げたとしても自身の国土も守れない国家ではただの笑いものである。

しかし今の政府、政権党に期待できないではないか。

 

それを国民が見透かしており、その国民の代弁者として今回石原都知事は領土・歴史問題に一石を投じたのだ。

 

朝日新聞は社説を下記のように締めくくっている。

 

藤村官房長官はきのうの記者会見で、国が購入する可能性を否定しなかった。東京都よりも外交を担当する政府が所有する方が、まだ理にかなっている。

 

これまでも何もアクションを起こせず、また、これまでの外交を破壊した鳩山氏を党外交最高顧問の地位に置いている政府が理にかなっているとは、その節穴具合には脱帽である。

 

 

 

 

 

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結局何がしたいのだ。 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/23 11:34

 

 

教科書は寄贈で調達 町費使えず「無責任」批判も 竹富町

 http://sankei.jp.msn.com/region/news/120222/okw12022219370001-n1.htm  

 

沖縄県八重山地区(石垣市、与那国町、竹富町)の教科書問題で、採択地区協議会の答申に従わず、独自の教科書を採択したため文部科学省から自費購入を求められていた竹富町教育委員会は22日、町民から教科書の寄贈を受けることを決めた。町民の理解が得られず、町費から支出できないための苦肉の策だが、関係者からは「無責任」と批判の声も出ている。(抜粋)

 

とうとう決着がつくことになりそうだ。

しかしここ半年にも渡るこの不毛なやり取りは何だったのだろうか。

結局竹富町教委のエゴに振り回され、彼らはイデオロギーの押し付けを正当化しようと騒ぎまわっただけでなかっただろうか。

その結果が町民からの寄贈とはなんともはやいい面の皮だ。

金額だけの問題でないことは分かっているが、教科書費用の合計は21名分15,000円。

教委はこれに関し「文科省の言いなりになる」と言う理由で自費購入を拒否した。

「5人の教育委員の責任で購入して寄贈してはどうか」という意見が出たが、慶田盛教育長は「責任を取らされたような形になる」として認めず、暫定処置として町民からの寄贈と相成る。

子供をこのような大人の不手際で振り回し、そしてその根本的なところが旧態依然とした改革を要するようなイデオロギーである。言いなりだ、責任を取らされる形だと、そんな体裁を繕うための処置ではこの問題を注視している様々な層の人々に、この騒動の帰結を納得させるだけの根拠とはならない。

無責任と映っても仕方がない。

 

全国的な流れの中で、なぜ今回「つくる会」系の教科書の採択率が伸び、その意味がどのようなことを示すのかを考えた上での行動だったのか。

戦後教育は強烈な反軍国主義、自虐史観と言うイデオロギーの賜物であり、その教育形態が何を生み出してきたのか。

現在のわが国の状況を鑑みれば何をか言わんやとはならないのだろうか。

謝罪外交を繰り返し、戦後半世紀以上を過ぎても自立することも出来ず、絶えず隣国からは教科書、靖国神社参拝、安全保障等に対する内政干渉を受け続けている。

これが普通の事だと考え、隣国に慣れてしまうこと自体が、学校教育を見直す必要性を示しているのだ。

 

平和を希求することは全人類において最も崇高であり、そして至極当たり前の思想である。

しかし、その普遍的な思想の根幹は大切にしながらも、国家それぞれの状況に応じた過去からの脱却を目指す教育を行わなければ、最終的にはわが国は隣国の食い物とされてしまう。

歴史認識は非常にセンシティブな内容を伴うが、世界有数の民主的成熟社会を有するわが国が本当に自立する為に、そして将来を担う子供たちが日本人として誇りを持てるように、隣国と正々堂々伍して向き合えるように、我々世代の責任において変革を求めていかなければならないのではないだろうか。

 

 

 

 

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日本国内の混乱が隣国の好機は当たり前。 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/21 17:57

 

今月に入ってソウルの日本文化院前に反日広告パネルが設置された。

言論・思想の自由があり、そして有料の広告スペースとは言えども、ここまでくると政治的な判断が必要ではないか。

 

大使館前の慰安婦像設置に続き、わが国に対して事実関係のはっきりしない事柄に対する明らかないやがらせ行為には早期の対応が必要ではないだろうか。

北朝鮮問題が喉元に突き付けられた刃のような状況の韓国。

米韓FTAを契機に親北野党による現政権への攻撃が続いている。

国内世論を統制しようと反日のカラーをここに来て強化する韓国

そんな隣国の情勢に飲み込まれたわが国政府は、「竹島の碑」の在日韓国大使館前の設置は不許可とした。

もちろん、設置の背景にある在特会の存在が今後の日韓関係の好転に問題を引き起こすというような政治的配慮の上での事だろう。

なぜその設置に関するやり取りを、そして一部の活動家かもしれないが、このような運動が行われたという事実を世間に、世界に拡散しないのだろうか。

そこに正々堂々と竹島問題や日本海表記問題に対する政府見解を加えて発表することで、もっと上手く利用できたのではないだろうか。

政府は設置不許可の判断をしたと言う事実が残っている。

その上での情報の拡散は記念碑が設置される事実よりもより国際社会に大人の対応として認められたのではないだろうか。

 

残念ながらやはり外交弱者の日本は全く変わっていなかったということである。

 

別のニュースでは普天間基地の周辺で外国資本による買収の話しが持ち上がっているとある。

この問題に際し田中防衛相は大きな問題としながらも、支障があれば検討すると、またまた後手に回るかのような発言。

そうではないだろう。

今国会会期中に早速法案の整備に着手すると言うような早急な行動が求められるのではないだろうか。

のんびりしている。

 

国内事情が海外に丸見えのわが国は、隣国の格好の標的となっている。

それがどれほどの国益を損ねているか分かっているのだろうか。

外交・安全保障には特に国家観をしっかりと持った人間でなければ何の役にも立たないということも分かってもらいたい。

 

 

 

 

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風だけの選挙にはするな。 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/17 18:33

 

本当に筋を通し、自らの政治理念によって周りに左右されない政治家はいないのか。

ある意味それを体現出来ているのはわが国には自治体の首長数人しかいないのではないだろうか。

国会内を見渡しても責任を持って発言できる人間は小生が尊敬してやまないたちあがれ日本の平沼代表以下数人しかいない。

惰眠を貪ってきた国会議員のなんと多いことか。

これまでも「風」を味方にすることは悪いことではない。

しかしここに至って乱気流のような地方からの風にされ、翻弄されているだけの政治家は次期選挙でお引き取りいただきたい。

 

何もかもがいっしょくたに扱われている気がする。

OO党、XX会がこんなことを言っている。

こんなことを始めようとしている。

大変だ、大変だ。

こちらも乗り遅れないようにしなければ。

TPPはどうする。

地方行政はどう扱う。

教育はどうだ。

安全保障は・・・。

 

未だ国だ、地方だと縦割り行政が改善されていない状況下の現在は、いくら何がどうだと言えども、従来の法に則った政治を行わざるを得ない。

その従来のやり方を地方から打開する為に様々な打ち出しをしていこう、国政を変えていこうと言う流れがやっと出来あがってきたところである。

それがなんだ。

ふらふらと勢いのあるもの、長いものには巻かれろとばかりに、追従する国会議員・政党の多いこと。

将来には現実となる可能性のある公約でも、国会で法案が通過しなければ夢物語である。

それでも不安に感じ、選挙、保身しか考えられない政治家ばかりである。

 

理念だけでも国民に安心感を与え、道筋をつけてくれると期待させる政治家・政党が出てくることを心より強く望んでいる。

 

 

 

 

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政党の選択に派手、地味の論議は無関係だ。 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/17 18:00

 

自民党・谷垣総裁が写された新しい自民党ポスターに党内でクレームが付いている。

暗い、地味だという意見が多いそうだ。

有権者がわが国の将来を見据えて投票するには、もちろんその政党の持つイメージや背景に左右されることもある。

しかし、これまでの選挙ではそのようなことが通じたかもしれないが、ことここに来て、将来の我々の生活に直結するような消費税、社会保障の問題、外交・安全保障の問題と、1日でも早く道筋を示してもらいたい事柄が山積する現在の政治に、そんなことがどれだけのウエイトを占めると思っているのか。

 

国民の政治離れ?( と言うよりは政治・政治家への期待度の低下であろうが) も多いとされるが、最近目の当たりにする政治の本質に目を向けない有権者は少ないのではないか。

これまでの我々とは違い、政治に対し気軽に自分の意見を発表したり、他人と意見を交換するなどインターネットなどを通しても簡単に出来るようになってきた。

そして、大阪に代表されるように地方政治に対しても有権者の関心は広がってきているのだ。

だからこそなおさらポスターのデザインにあーでもないこーでもないと言っている政党になど期待を寄せることが出来なくなっているのだ。

有権者はその政党の政策、行動力、発信力、そしてわが国の舵取りを担えることが出来る政党かどうか国民の目で直に判断しようとしているのだ。

 

 

この風潮は政治が国民のもとへ帰ってくる兆しを見せ始めているのだと考える。

小生は国民の積極的な政治参加の復活を心より望んでいる。
これまでのように政治は自分には関係のないもの、どうせ何も変わらないなどと言う考えは捨ててしまい、自らの将来と国家の行く末、自分の利益と国益とを重ね合わせた上で、国民主導で政治を見つめていかなければならない時期が来ているのだから。

 

 

 

 

 

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国に期待できないことの映し鏡 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/15 11:07

 

大阪維新の会が検討している「船中八策」と称される選挙公約の骨子が概ねで揃い始め、それに対し国会の与野党から様々な発言が出てきている。

ただ、これまで国民の期待に応えられなかった国会議員の発言にいささか呆れてしまう。

どのような内容においても賛否両論あり、喧々諤々大いに議論されることは望ましいことである。

言論統制下の独裁国家でもない限り、個々、組織としての意見を述べることはもちろんあるべき姿であるが、国会議員の軽薄な発言はどうも納得できない。

本当の姿をまだ見ず、未だ中身を極限まで突き詰めたわけでもないこの「船中八策」。

今時点からこれにここまでこだわり、批判を繰り返す与野党の国会議員。

報道だけを見て、党内、政府内でも議論を交わしたものでもないものになぜそう敏感になるのだ。

自身の無さの表れ、勢いへの恐怖、保身重視の行動に他ならない。

 

正直なところ、小生も骨子だけでは細かい事が分からない上に現実味に欠ける部分もあるように思う。

しかし、それはここからがスタートラインに立ったばかりだからだ。

憲法改正を行われない限り成立することがない公約のいくつかは、もちろん国会議員のお歴々の発言通り現実的でないものもあると思う。

ただし現段階ではだ。

 

維新の会の行動の大題目は「大阪都構想」であり、そしてそれを実現する為に地方自治法等の抜本的な法改正、それに伴い憲法改正も必須事項となるのである。

その為の国政参加を目指す維新塾なのである。

橋下市長も言っていたではないか。

自分たちの公約を進めるためには国会議員の協力が必要であり、それが難しいようであれば維新の会として国政に参加すると。

その一言が、国会議員らによる維新の会への連携、すり寄り、勝手連等のような一見おかしな便乗状況を作り出しているのである。

情けない国会議員達を見るに堪えないではないか。

 

小生は橋下氏の一連の行動は荒削りではあるが全く理にかなっていると考えている。

上記のような発言があり、維新塾を開き、そして公約を提示し、その中ではきちっと憲法改正にも言及している。

ただ、ディテールがまだ詰め切れていないだけだ。

これも維新塾が整えばその中で話し合いを進めていくとのことで、民主党や、その批判に終始する自民党に比べれば、有権者への透明性と言う部分で優れており、それが有権者の意識を引き付ける好材となっているのではないだろうか。

 

しかし、1点気をつけておかなければいけないのは、民主党から出れば誰でも当選した等と言われる2009年の衆議院選と同様のポピュリズム選挙になってしまうことだ。

民主党に比べ、より独裁色を前面に押し出しながらこれまでの選挙を戦ってきた大阪維新の会。

もし前回の衆院選のような勝ち方をすれば、極端な方向性を緩和する政党が必要だと考える。

それが石原新党となるのではないだろうか。

真の保守としてのカラー、その上で維新の会とも近い理念を持っている。

ある種ここがストッパーとしての役目を果たし、第3極として、弱体化するであろう民主、自民党とのバランスを取り、政界再編を進めて貰いたい。

現在よりも若干は息苦しい生活を求められるだろうが、ダラダラとした未来の見えない政治からの脱却は出来るのではないだろうか。

 

とにもかくにも、次期衆院選挙が政治不信を払しょくする良い機会となる事を期待する。

 

 

 

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きちっとした国の方針を示せ ニュース記事に関連したブログ

2012/02/07 17:09

 

竹島遊覧船の韓国企業に 長崎県と対馬市が補助金

 

国の方針なき離島政策はこのような矛盾を引き起こしてしまう。

 

対馬の主な産業である漁業における年間水揚げ高はここ15年強で半減。

公共事業費用は半減以下までその水準が引き下げられた。

仕事のない若者は島を離れ、典型的な少子高齢化を体現してしまった。

あっという間に人口は減り始め、現在は33,000人ほどになってしまった。

もちろんそうなれば時間をかけて130キロ先の福岡を商圏とするよりは50キロにも満たない隣国韓国の観光客を手軽に誘致しようとなるのは自然の流れであろう。

 

本来の離島政策とここ対馬の離島政策は大きな点で違いがある。

それは国境離島(わが国では北海道、対馬、沖縄の3か所)というその特殊な立ち位置である。

 

国境と言えば文字通り国と国との境である。

自国と他国の人的、財貨的透過性を制御する場所である。

ましてや対馬は疑いなきわが国の領有権を認められている正式な国境である。

しかしそのわが国の国境離島・対馬を脅かそうとしている隣国資本にしか経済の活性化の光を見いだせない。

そのような矛盾を持った離島政策をどのように受け入れればよいのだろうか。

もちろん最初はどんな場合でも、意気揚々と、待ってましたとばかりに積極的にアプローチをする。

実際に現在では年間65,000人超の韓国人観光客が訪れる。

そして少しずつでも成果が見えてくるとそこに群がってくる者たちが必ず現れる。

対馬の場合、対馬や長崎県の人間ではなく、そこに群れてきたのは韓国の資本だった。

宿泊施設も買収され、お土産物店、飲食店などもかなりの韓国資本が入り込んできている。

それによって地元日本人経営者たちの収益は減少してしまった。

ミイラ取りがミイラになった例としては非常に深刻である。

ある人の言葉で、「対馬は島を切り売りしなければ生きていけない」とある。

切り売りをさせるのはわが国政府であり、買い取っているのは隣国韓国である。

対馬の実際の地理的な場所は韓国以外にもその重要な存在価値を認識している。

その重要性を認識していないのは情けないことに領有するわが国日本なのだ。

 

国境の島対馬には陸・海・空自衛隊の基地がある。

総数は約1,500名ほど。

対馬市民の多くは自衛隊の増員を国に申し込んだり、それによる経済波及を模索し、韓国人観光客からの脱却へ動き始めている。

まっとうな動きである。

出来の悪い防衛相を何代もその職に就かせる民主党政権はこのような国境離島のなんたるかを本当に理解しているとはまるで思えない。

有事の際には命を張ってこの島、国益を守る自衛隊の基地のすぐ隣に建てられたリゾートが、どれだけわが国政府が国境を、対馬を放置してきたかを物語っている。

もちろん外国人の土地売買に関する法整備が行われていない事が最も問題視すべきところではあるが、国境警備の最前線基地の隣に、他国のしかも対馬領有を具現化しようと声をあげている韓国資本の建造物が立つなど、安全保障上の義務を全く履行できていないのである。

格好や、パフォーマンスのための議員団の訪問など必要ない

特に対馬を選挙区に持つ議員の形骸化した活動などは全く持って税金の無駄使いなのだ。

しっかりとした対話を通して、公共事業を増やすだけでなく、島民の本当に望むその行政を見直すことが最も求められているのだ。

中央集権であろうが、地方分権においてだろうが、当たり前のことではないか。

 

わが国の国民、特に国境を抱えた国民にはより強力な経済的なバックアップを行いその上で自衛隊の増員を決め、新たな雇用の創出を行う。

また、休耕になってしまった田畑を再開発し、電力特区などの日系企業の誘致に目を向けるべきではないだろうか。

長崎県の労働賃金の水準はかなり低い。

それを逆に取り込み、海外に逃げてしまっている企業を少しでも呼び戻し、空洞化を防ぐための一石としてもいいのではないか。

 

まあかなり話しが逸れてしまったが、小生は国民の目が自然に向くことのないこの対馬に、何かしらの光が差し込む下地を今のうちに早急に検討する必要性を感じる。

その上で、地方の行政府は、きちっとした事前の調査を行い、今回のような矛盾が服を着て歩いているような方策を断じて行うべきではない。

もちろん、全ての参入業者に同様に与える権利としてあるのならば別だが。

 

対馬は今後もこれまでもわが国固有の領土であり、竹島も右に倣えである。正直、整備新幹線や、八ツ場ダムの着工を行うよりも前に国民、そして世界の国々にも高らかと国境の重要性をわが国は認識していると分からせることが、より国益を守るためには有意義ではないだろうか。

 

最後に、ある方が実際に対馬に赴き、島民の方々と話をした際の島民の方のコメントがあった。

「刑務所でもいいので、対馬に作って欲しい。」

この実情から出た言葉を現政府、政治家はどのように受け取るのだろうか。

 

 

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公人、政治を執る者は利用されるもの。 ニュース記事に関連したブログ

2012/02/07 14:41

 

石原自民党幹事長の言葉は政治家としての発言ではなく、私人としての発言であろう。

どのような曲折があろうと、石原慎太郎都知事は伸晃氏の政治歴を遥かに凌ぐ経験を持ち、自らの発信力、影響力は現在の政治家の中でもずば抜けてトップクラス。

そのあたりのなんとかチルドレンなど100年かかってもたどり着けないような存在である。

 

橋下氏・大阪維新の会とも連携を模索する人々が、直接橋下氏の腹の中を探るような事が出来ない、連携の糸口として石原都知事に間接的な連帯を求め集まる。

もちろん都知事は伸晃氏曰くの「利用されている」そう言う位置にいるであろう。

しかし当たり前のことである。

力を持つ人間に、理念の定まった人間に周旋を願い出、道を尋ね、そしてその尋ねられた本人が自ら道案内をしてあげようと腰を上げることは少なくはない。

 

それを父親だということで利用されているとオモチャを取られた子供のようにわめくのはあまり恰好のいいものではない。

もちろん、オモチャ本体だけでなく、オモチャ用の電池もまとめて持ち去られるような話が聞こえれば党幹事長としては何か言わなくてはいけないことも分かる。

だがそのような形で議員を連れ去られる危機に瀕するほど落ちぶれてしまった自民党の党幹事長としては、その責任の一端をどのように回復していくかが重要であり、親族を取られたと泣き言を言っている場合ではない。

腐っても、本来の日本を取り戻すための旗頭になるべき、保守の代表なのだ。

 

ただ、橋下氏が言ったように、連携ありきではなく、政策ありきでの連携を目指してほしい。

連携を中心に考え、政策が後回しになることはもう民主党からの経験により、避けねばならない。

独裁、一党支配は必ずほころびが出てくる。

そのほころびを上手く修繕するのが連携を組む政党などであるべきである。

 

ポピュリズムの中で出された調子のいい甘言やばらまきをきちっと見直し、本当の政治の取り戻せるように国民自体が開かれた政治体制の中でプラスもマイナスも見通すことが出来、国民がうまく政治家を利用して行ける時代を構築してもらいたいものだ。

 

 

 

 

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